(1)公共とは
本日から公共の授業をスタートします。公共という科目は、広く社会一般に関係することについて学ぶ科目です。しかし、そもそも公共とは何なのでしょうか?公共には大きく二つの意味があります。一つは「政府」という意味、もう一つは「みんなの」と言う意味。
辞書的には「私 (private) や個 (individual) に対置される概念で、英語のパブリック (public) を翻訳した言葉」とされています。難しいですね。もう少し具体的に考えると、公共投資、公共政策という言葉があります。この場合の公共とは、「政府の」という意味です。つまり、公共投資、公共政策とは政府による投資や政府による政策のこと。
一方で、公共の利益や公共の場といった言葉もあります。これを政府の利益、政府の場所と考えるのは変ですね。みんなの利益、みんなの場所と考えるのが普通ですね。ここでの公共という言葉は、「皆で共有する」という意味ですね。これから学ぶ公共という科目は、政府についてだけ学習するのではなく、広く社会全体で共有されている宗教、文化、思想、社会のしくみなどを学ぶものだと思ってください。
(2)どのように社会(公共的な空間)は作られるのか?
公共は社会全体で共有されている物事を学ぶ科目と言いました。では、社会とは何か? 簡単にいうと「人間の集団生活全般」を指します。たとえば、学校のクラスや部活のチームも立派な社会です。ここで、とても重要なポイントですが、そもそも社会は、もとから存在しているものではないということ。社会は、一人ひとりの行動や考え方、コミュニケーションによって作られていくものなのです。クラスを例に考えてみましょう。
新しいクラスがスタートした。まずは自己紹介をして知り合いになる。クラスの中では、自然と文化が生まれてきます。昼休みに弁当を黒板を見ながら食べるクラス、早弁を原則とするクラス、日誌に必ず「絵しりとり」を入れるクラスなど、自然発生的に文化が生まれます。そして、この文化は意外と強制力がある。みんなが日誌に絵しりとりをしているのに、自分だけしなかったら、白い目で見られますね。このようにして、文化だけでなく秩序やきまりも生まれていく。隣のクラスの友達に教科書を借りに行く時にちょっとした緊張感や違和感を覚えたりするのは、違う社会によそ者として入り込むからです。恐らく、この違和感はクラス替え当初よりも、クラス(社会)が出来上がる3月頃に頂点に達するのではないかと思います。
次に国家レベルを見ていきましょう。国家レベルになるともっともっと色々な人がいる。異なる信仰を持つ人、異なる人種の人、全く考え方の違う人などなど。このような人たちが、自分たちの服装や食習慣などの文化を作っていく。これもクラスの文化同様に自然発生的にできていくのだけれども、それになりに目に見えない形で強制力が働いたりする。ただし、国家規模の場合には、本当にバラバラになりやすい。そのため、強いきまりや秩序が必要となります。だから、国家レベルでは、公的な話し合いの場や法が社会の仕組みとして存在するのですね。
(3)どのように対立は調整されるのか?
社会では必ず対立が生まれます。「このケーキは誰が食べるの?」という対立もあれば、「誰が税を納めるか?」というのも対立です。こう聞くと、社会で生きていくのが面倒になりますね。それなら、無人島で一人自給自足で暮らそうと考えるかもしれません。しかし、多くの人がそれでは物足りないと感じます。なぜなら、単純に集団は強いからです。一人では頭は1個、手や足の数も限られています。でも、集団だと多数のそれらを活用し、多くのものを作り出せます。また、それぞれで作ったものを交換しあえば全体の満足度も高まります。古代ギリシャのアリストテレスは「人間は社会的動物である」と言いました。人間は集団生活の中で活動することによってはじめて、立派な市民として人間形成を実現すると考えたのです。
では、どのように対立は調整されるのか。また、クラスを例にしましょう。文化祭の劇として、コナンをしたい人たち、リトルマーメイドをしたい人たちなどがいる。この場合、話し合いの場が設けられ、全体でとりあえず納得できる結論が出されます。そして、一度出た結論をひっくり返すようなことはなかなかできません。そんなことしたら明日から教室に居場所はありませんから。クラス内で自然に生まれた文化以上に、このクラス全体での決定には強制力が伴うのです。クラスの中の法律といっていいかもしれません。以上がクラスを例にした場合です。
国家レベルになると、お互いの顔が見える関係ではないので、対立も起こりやすい。国家内での宗教的な対立や人種間の対立など様々あるでしょう。たとえば、みんなから税金をとって社会全体を豊かにしようという考え方もあれば、税金なんかいらない、自由こそ社会全体の豊かさにつながるという考え方もある。このような考え方はどちらも間違っているわけではないので、まとめるのはかなり難しい。だから、ドライに割り切って対立を調整する仕組みや機関が必要となる。日本なら、国会が話し合いの場を提供し、きまりを作る。内閣がルール違反を取り締まる。裁判所が、どちらが譲るべきか判断する。一度できた法律には強制力があり、反する行動をした人は罰せられる。まさしく社会の仕組みです。ただし、忘れてはならないのは、クラスだろうが国家だろうが、社会が維持されるには、ある程度以上の皆の納得の上での合意が必要だということです。多くの国で民主主義という仕組みがとられているのには、このような理由があるためと考えればよいでしょう。
では、具体的に社会での対立と合意を模擬体験してもらいましょう。
事例研究
ある市ではかねてより、東西の交通の弱さが指摘されていた。そのため東西の交通の利便性を高めるためにLRTを導入しようという話が出た。しかし、次に問題になったのは、どのルートを開通させるべきであるかという点であった。次の表は、ルート1~4を開通した場合の、5つの住民区のLRT導入による満足度をそれぞれ数値化したものである。各5人の班で自分がどの住民になるかを決めて、ロールプレイしてください。その上で、 ①どのルートになったのか、②なぜそのルートになったのか、③どのような決め方をしたのかの3点について各班で発表して下さい。 |
各区の満足度を示したもの
西区 | 北区 | 中区 | 東区 | 南区 | |
ルート1 | 5 | 8 | 1 | 4 | 1 |
ルート2 | 1 | 3 | 7 | 3 | 6 |
ルート3 | 4 | 7 | 6 | ー1 | 5 |
ルート4 | 4 | 2 | 1 | 1 | 1 |
※マイナスはその住民区が被害を受けるということ
ルート1を選んだ班はなぜそのような決定がなされたのですか?おそらく各住民で多数決をしたのではないでしょうか?話し合いに参加しない人がいたり、独裁者が決める訳でなく、各人が平等に一人一票として決定するという意味では、決め方の手続き自体は「公正」と言えますね。
ルート2を選んだ班は、おそらくルート1やルート4よりも全体の満足度が高いからルート2を優先したのではないでしょうか。「せっかくLRTを導入するのだから満足度が高い方を優先しようよ」となったのではないかと思います。このようにできるだけ無駄のないようにしようという判断基準を「効率」といいます。この基準で考えるとルート4は論外ですね。
ただし、本当に「効率」を優先するならルート3ではないでしょうか?でも、おそらくみんなこのルートは選ばない。選べないと言ってもいいかしれない。このルートだと東区の住民が可哀そうだと考えるからではないでしょうか。このように、結果自体が公正であるかについても人は重要視するのですね。
この点について思想家の考え方を紹介しておきましょう。まずはベンサム。ベンサムは、それぞれの満足度を足し合わせることが可能であり、満足度が最大となる決定こそが正義にかなうと考えました。この例で言うならルート3ですね。一方で、ロールズと言う人は、自分の立場は一旦置いておいて議論をするべきだと考えました。「無知のヴェール」といって、自分が何者であるかを全員がまずは忘れる。自分は超お金持ちかもしれないし、身体が不自由で働けない人かもしれない。このような状況で議論したら、「最も立場の弱い人への配慮が生まれるはず」と彼は考えました。この例でいくとルート3を外すと考えそうですね。このように決め方の手続きの公正さだけでなく、結果の公正さにこだわる思想家もいるのですね。以上のような人々のコミュニケーション活動によって合意が形成される。この合意とは電車のルートだけでなく、法律などの社会の仕組みも含まれます。ハーバーマスという人は、理性ある人々のコミュニケーション活動によって社会が形成されることを重視しました。
(4)おわりに
今回の話で一番重要なことは、「社会は作られるものである」という点です。社会は一人ひとりの考え方や行動、コミュニケーションによって作られていきます。そのため、社会の仕組みそのものを学習することも大切ですが、人々の考え方や行動を学ぶこともまた重要です。次回以降は、社会を構成している人間について、また、その中でもまずは一番身近な「自分」に着目して学習していきましょう。