日本経済史(後編)

授業

前回に続いて、ここでは高度経済成長から現在までの日本経済の歴史について扱っていきたいと思います。

石油危機後の日本経済

1973年に石油危機を経験した日本は戦後初のマイナス成長を経験します。この際に、日本を含め世界各国はスタグフレーションに直面します。スタグフレーションとは、物価上昇と不況が同時に起こる現象です。この場合には、金融政策はどうしたらよいでしょうか?これは高校生が考え迷うところです。伝統的な金融政策では、金利を上下させることによって、景気や物価を調整しようとします。

伝統的な金融政策
不況の場合政策目標である金利(公定歩合)を引き上げる。企業・個人は銀行からお金を借りやすくなり、世の中にお金が出回り、景気が良くなり、物価上昇が起こる。
好況の場合政策目標である金利(公定歩合)を引き下げる。企業・個人は銀行からお金を借りにくくなり、世の中にお金が出回らなくなり、景気が悪くなり、物価下落が起こる。

このスタグフレーションの場合には、金利を上げるべきでしょうか?それとも下げるべきでしょうか?実は、この場合の金融政策に正解はありません。上の表にあるように、金利を引き上げた場合には、企業・個人は銀行からお金を借りにくくなります。すると、世の中にお金が出回らなくなり、物価上昇は抑えられます。しかし、世の中にお金が出回らない以上は、不景気を受け入れないといけません。逆に、金利を引き下げた場合には、物価は上昇してしまいますが、景気は良くなります。

スタグフレーションは物価上昇と不況が同時に起こる現象です。金利をどちらに操作しても、インフレと不況の両方を解決することはできません。では、どうしたかと言うと、1973年のオイルショックの際に、日本銀行は金利を引き上げました。さらに、不況になることを犠牲にしてでも、物価上昇を抑え込むことを優先したのです。政策だけでなく、各企業もできるだけ石油を使わないように減少経営を進めていきます。企業は、FA化(ファクトリーオートメーション)OS化(オフィスオートメーション)を進め、これまでの造船などの重厚長大から半導体などの軽薄短小の産業へとシフトしていき、この危機を乗り越えました。各国がスタグフレーションに苦しんでる中で日本はいち早くこの危機を乗り越えたために、ジャパンバッシング(日本叩き)が起こったほどです。1973年のオイルショックから1980年代の日本は高度経済成長ほどではないですが、年間5%程度で成長する安定成長の時代と言われました。

バブルの発生と崩壊

バブルの発生については、1985年のプラザ合意まで遡って説明する必要があります。戦後日本がうまく経済成長する一方で、1980年代になるとアメリカ経済がうまくいかなくなってきます。そのため、1985年に各国の財政担当のリーダーは、アメリカを助けるためにニューヨークのプラザホテルに集合し、プラザ合意を行います。プラザ合意とは、各国がドル安へと誘導することに合意したことを指します。ドル安にするということは、円とドルの相対評価なので円高にすることを意味します。すると、日本は海外に商品を販売することが不利になります。それでもアメリカを助けるべきだと当時の政府は考えました。政府は、日本銀行に命じて為替介入をします。ドル安円高にしたい場合はどうしたら良いでしょうか?日本銀行は自分が持っているドルを売って、円を買うことによって円高へと誘導しました。

円高ドル安になるということは、日本は輸出が不利になるので、日本経済にとっては懸念材料となります。そのような不況に対処するために金融政策はどうするべきでしょうか?不況の場合には金利を引き下げるのがセオリーです。そのため、プラザ合意後に日本銀行は当時の政策金利である公定歩合を引き下げます。企業も円高の状況を活かして、海外へ工場を設立し生産拠点を移していきます。逆に国内の企業や雇用が減ってしまったため産業の空洞化と言われました。

ただし、実際には金利を引き下げた割には、当初の懸念ほどに不況とならなかったのです。お金が世の中に出回り、多くの人が土地や株式などの資産を購入していくようになります。土地や株式の需要が増え、地価や株価が上昇します。これがバブル経済です。バブル経済のもとでは、資産効果というものが起こります。資産効果とは、土地や株式を持つ人が、「自分が金持ちになった」と思い、色々なものを購入するようになる現象です。土地の価格は上昇し続け、東京23区でアメリカ全土が買えるほどの異常な状況となります。土地の価格は都心部だけでなく地方都市でも上昇します。リゾート開発のために地方でも土地の売買が多く行われたためです。しかし、バブル(泡)は当然いつかは弾けます。きっかけはいくつかありますが、一番大きかったのが、日本銀行が公定歩合を急に引き上げたことです。他にも、銀行が土地を購入する人に対して融資することを制限する仕組みが導入されたことなども挙げられます。これらによって、一気に株価や地価が暴落します。これがバブルの崩壊です。

平成不況

バブル崩壊後の不況は長期化し、「失われた十年」「平成不況」などと言われました。企業はリストラを進めます。人々はモノを買おうとせずデフレーション(物価下落)がすすみます。この時期に「価格破壊」という言葉が生まれ、マクドナルドのハンバーガーが59円まで下がる時期もありました。

特に苦しかったのが、銀行などの金融機関です。銀行は多くの不良債権を抱えたからです。不良債権とは、「回収できない借金を返済してもらう権利」です。なぜ、銀行がたくさんの不良債権を抱えたかを説明します。お金の貸し借りの際には担保(抵当権)という仕組みがあります。たとえば、3000万円の住宅ローンを組みたい場合、銀行は条件として、土地と建物に担保(抵当権)をつけることを借り手に要求します。もしも、返済がきちんとできない場合には、銀行は裁判所に申し立てて、その土地や建物を競売にかけ、貸し付けたお金を回収できるのです。この仕組みのもとで、バブルの頃の銀行は、土地の価格は値上がりし続けることを前提に、たくさんの融資をしていました。しかし、バブルが崩壊すると貸し付けたお金は返ってこない。土地や建物も安い価格でしか売買できず資金を回収できません。このようにして、銀行は不良債権を抱えることとなりました。

銀行の中には、お金を回収できずに破綻するところも出てきました。銀行が破綻すると、その銀行にお金を預けている企業・銀行なども資金に困るようになりドミノ倒しのように企業が破綻していくのです。つまり、銀行の破綻は、一般企業の破綻よりも経済全体に悪影響を与えてしまうのです。そのため、公的資金注入といって、政府は税金を使って銀行を助けたりもしました。もちろん、「金融機関だけを救済するのは不公平だ」という国民の声もあがりました。しかし、近年では金融システムを安定させることが重要であるとほとんどの経済学者が考えます。銀行が破綻しないようにすることが基本的なセオリーとなっています。むしろ、バブル崩壊後に日本の不況が長引いた一番の理由は、金融機関を助けるのが遅すぎたからだとされています。

2000年代以降の日本経済

2000年代に入ると小泉内閣(2001年~2006年)が誕生します。平成不況から抜け出していくために、「小さな政府」路線で、自由化を進めていきました。たとえば、労働分野では、労働者派遣法を改正し、これまで禁止されていた製造業の派遣労働を可能にしました。本格的な格差社会を生み出したとも言われています。他にも、郵便局や道路公団を民営化したり、経済特区といって地域限定で規制緩和を進めていきました。

この時期はアメリカでITバブルが起こっていたため日本経済もそこまでひどい状況ではありませんでした。統計上も好景気と判断しても良い状況で、2002年から2007年は「実感なき好景気」(いざなみ景気)と言われました。しかし、2007年にアメリカでリーマンショック、その後の世界金融危機が起こり一転して世界中が不景気となります。日本は3.6%のマイナス成長を記録します。

リーマンショックの構造は、先ほどの日本のバブル後の不況とよく似ています。当時のアメリカでは土地バブルが起きていました。アメリカの銀行は信用能力がさほど高くない人相手でも土地の価格が値上がりすることを前提に住宅ローンを貸し付けていました。このローンをサブプライムローンと言いまして、最初の数年は返済額も少なめにしてもらえる仕組みとなっています。銀行側は、このお金を返してもらえる債券自体を小口にして、他の金融機関に販売していました。金融の世界ではこのように権利の売買が日常的に行われているのです。そして、ある日、住宅ローンを返済できない人が増えていっていることが問題となります。つまり、サブプライムローンに関わる債権が不良債権となったのです。そのような不良債権をたくさん抱えていたリーマンブラザーズという投資銀行(日本でいう証券会社)が破綻してしまいます。他の銀行も破綻するんじゃないかということで、お互いがお互いが信用できな状況が生まれます。このようにして世界金融危機が発生しました。日本のGDPのマイナス幅は3.6%で震源地のアメリカ以上でした。派遣労働者も多くが契約を打ち切られ大変な不況へと陥ることになりました。

最後に、近年の出来事として2011年の東日本大震災と2019年のコロナウイルス感染拡大についても説明しておきます。2011年には東日本大震災が発生しました。死者は2万人以上の大災害です。このような状況だと円安ドル高になりそうですが、実際には大幅な円高となりました。2011年10月31日には1ドル=75円と史上最高の円高となりました。その理由は諸説ありますが、リーマンショック後でドルは不人気、ギリシャ危機後でユーロも不人気である中で、円は相対的に安心できる通貨であると市場が判断したと考えればよいでしょう。東日本大震災と言えば、原子力発電所で事故も重要な歴史的出来事です。この事故により、日本中の原子力発電者が停止することになりました。太陽光発電などを幅広く普及させようという動きも活発となりました。ただし、原発ゼロは現実的ではないという政府の判断もあり、2015年以降は原子力規制委員会の定めた基準をクリアーしたところは再稼働しています。

2019年にはコロナウイルス世界中に感染拡大していきます。日本は2020年に東京オリンピックを行う予定が中止となります。コロナ後の2020年の日本の経済成長率はマイナス4.6%となりました。統計基準が変更されていますが、事実上戦後最悪のマイナス成長となりました。

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