民主政治の基本原理②

1.法の支配

 2枚目は法の支配や人権といったものがどのようにして深化していったかについて扱いたいと思います。まず、一番先に聞くのが、もしも皆さんが中世のヨーロッパに住んでいるとして、その地域の王様がひどかった場合には、次のうちどれを選びますか?

①我慢する  ②引っ越す  ③違う王様を呼んでくる  ④王様に・・・する

 これは結構意見が分かれると思います。④は革命を起こす、暗殺する、などを言ってくれる人がいます。ただし、実はこのどれもが実際に歴史上行われており、そしてあまりうまくいっていないのです。①は何の解決にもなっていない。②は引っ越した先の王様がもっとひどかったりする。③も呼んできた王様がもっとひどい場合がある。④の革命だって次の権力者がもっと独裁者かもれない。そのため、このような状況を終わらせる仕組みを人類は発明しました。それが「法の支配」です。

 これまで、法とは王が制定して、人民がそれに従う「人の支配」だったのです。これを、法を王よりも上位にもってきて、王であろうとも法に従わなくてはならない仕組みとしたのです。これが「法の支配」です。初めて法の支配が実現したのがイギリスのマグナカルタです。ただし、これは貴族の特権を認めさせたものに過ぎない点にも注意してください。その後も法を守らない王様が出てくるので、法学者のブラクトンと言う人は「王といえども神と法のもとにある」という名言を残します。その後、裁判官のエドワード・コークと言う人が同じ言葉を引用しました。彼は「権利請願」という文書を出しています。請願とはお願い。議会の同意なく勝手に王様が税をとったりしないでね。という文書です。でも、それでも法を守らない王様がいるので、イギリスの人たちは違う国から王様を連れてきます。そして、これからは議会が法を制定するので、王様は勝手なことをしないように釘をさします。ここで出されたのが「権利章典」です。これで「王は君臨すれども統治せず」という一枚目で説明した立憲主義が確立します。人々の権利を守るために、王様を憲法で閉じ込める。立憲君主制のできあがりです。

2.法の支配と法治主義

 ここで法について根本的なところを学習しておきましょう。たまに「法はいつできたのですか?」と質問されるのですが、人間が複数集まれば、法(ルール)は勝手できます。皆さんのおうちでも、お父さんのスプーンはこれじゃないとダメとかの法(ルール)があるでしょ。

 法には大きく二つの体系があるとされています。一つが英米法、もう一つが大陸法です。まず、英米法の特徴は、法とは理性によって見つけるという考え方をとっている点です。日本の人からしたら「??」という感じかもしれませんね。

 例えば、法律なんかない世界でも、人を殺したらダメって私たちは本能というか理性で考えますよね。「人を殺してはいけない」これは私たちが理性で発見した法(ルール)と言えます。自然法ってやつです。他にも具体的に、たとえば、ある地域の領主とその隣の地域の領主が川の水はどちらがどれだけ使うかケンカしている。この場合、話し合ってルールを作ります。そして、それがその地域の慣習となる。これもある意味で、互いが納得する形で法を発見したと言えます。これを慣習法といいます。

 また、領主同士がもめて第三者が必要となった場合、より上位の支配者が裁判をします。このときに法律の条文に「川の水はこの角度なら○○のもの」なんてそもそも書いていないのですね。で、その支配者はどうするかというと、どちらがかわいそうか、これまでの慣例はどうであったか、どちらの言い分に説得力があるか、などで判断する。つまり、理性で判断する。そして最終的に、支配者は判断結果を読み上げる。この判断結果を判例という。この判例には法的拘束力があり、判例法ともいいます。

 そして、次に同じような争いがあったときには、積み重なった判例や慣例で判断する。よって、慣習法や判例法は、総称して「不文法」もしくは「コモンロー」といいます。不文というのは、法律の条文としては記述してないという意味。決して文章化しないということではないですよ。イギリスやアメリカのような英米法を使う国では、不文法を重視するのです。特にイギリスは、マグナカルタなどの歴史的な文書や慣習法、判例法を援用して国家の基本法としているため、法典としての憲法を持たないのです。bookとしての憲法のない不文憲法の国と言われます。たとえば、内閣総理大臣は議会の第一党の党首がなるといった決まりも、イギリスでは慣例でそうなっているのです。他にも同じ英米法のアメリカでは憲法はありますが、慣習が重要視されており、裁判所が他権力に違憲審査権を発動しますが、これも慣例です。英米法のイギリスやアメリカは慣例を重視するため国家の基本的な決まり事もかなり柔軟に解釈されます。これらの国は憲法の改正と言うか解釈変更が柔軟で、軟性憲法の国と言われます。

 一方の大陸法です。こちらは条文や手続き重視です。では、この条文は誰が作るのか?現在の日本では国会議員ですね、教科書的には。現実には公務員の中でも地位の高い官僚と言われる人たちが作っているのが実情ではないかと思います。官僚が作ったものを内閣が作成したとして、国会に提出する。国会議員は問題なければ、賛成の議決をするといったところでしょうか。

 この大陸法で重要となってくるのが、手続き通りに制定されているかということです。このような手続きを重視する考え方を「法治主義」といいます。内容にこだわりがないといわれていますが、現在では法治主義も法の内容にこだわるとの見解となっています。権力者が自分勝手に法を作ることを、法によって防ぐという意味では、法の支配と通じるところがあります。現在の日本は英米法と大陸法両方の考え方が取り入れられています。

3.人権保障の広がり(内容)

まずは、自由権からです。18世紀の「王様ほっといて」がスタートです。身体の自由、精神の自由、経済活動の自由などですね。ここから参政権などを市民が獲得し、20世紀には社会権が主張されるようになります。「社会権って何?」って聞くと結構生徒が答えられない傾向にあります。具体的には「教育を受ける権利」、「生存権」、「労働基本権」ですね。これらの権利の共通点は何でしょうか?対象が社会的に不利な立場ですね。これらの人たちのしんどい状況を是正しよう、国家に対してそのような是正を求め実現してもらう権利、これが社会権です。社会権は、皆一律に保障しようとする形式的平等(機会の平等)というよりも、実質的平等(結果の平等)に関わる概念です。この権利が主張されるようになったのが1919年に制定されたワイマール憲法です。日本も戦後、日本の憲法学者がワイマール憲法を真似て、社会権を憲法に明記するべきだと考え、義務教育の教育の無償化や生存権が入れられました。以下、フランス人権宣言やワイマール憲法以外にも人権保障のきっかけとなった歴史的文書とポイントを載せておきます。

・バージニア権利章典・・・1776年に世界で初めて自然権を宣言した文書。アメリカ独立宣言の際にバージニア議会で採択されました。その1か月後にトマス・ジェファーソンがアメリカ独立宣言を起草しています。

・アメリカ独立宣言・・・イギリスからの独立を宣言した文書。キリスト教国家として「造物主」という言葉があることや、「新たな政府を組織する権利」と抵抗権についても明確に記されているのがポイントです。

・フランス人権宣言・・・知っておいてほしいのは第1条、第2条、第16 条ですね。第1条「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する」として身分に関係なく権利があることを宣言しています。また、第2条では、抵抗権が記されています。これはアメリカ独立宣言の影響です。たまに、アメリカ独立宣言とフランス人権宣言がどちらが先か間違える人がいます。なんとなくフランスの方が先のイメージがあるのかもですね、実際にはアメリカが先です。ちなみにフランスとアメリカの関係は深いものがあり、アメリカの自由の女神像は、フランス政府がアメリカに対して、建国100周年の際に寄贈したものです。

・ワイマール憲法・・・社会権といえばワイマール憲法。知っておいてほしいのは第151条です。「経済生活の秩序・・・」ときたらお金関係のこと、社会権といった感じで覚えておけばいいと思います。

4.人権保障の広がり(空間)

人権保障の考え方はイギリスなど欧米が中心となって起こったものです。これが段々と国連を中心に世界中に広がるようになります。よって、国連がどのようにしてできたのか簡単に復習をする必要があります。きっかけは第二次世界大戦ですね。簡単な構図としては、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連など連合国側 VS 日本、ドイツ、イタリアです。戦争は本当にたくさんの人が死にます。「戦争こそが最大の人権侵害」とも言われます。よって、戦争中の段階で、アメリカのローズベルト大統領が「4つの自由」という考え方を宣言する。具体的には、「言論の自由」、「神を敬う自由」、「欠乏からの自由」、「恐怖からの自由」です。人権について世界のスタンダードを作ろうという動きがあったのですね。

その後、連合国側が勝利し、国際連合ができます。英語ではThe United Nationsつまり勝利した連合国側のための組織です。日本、ドイツ、イタリアは敗戦国であり旧敵国です。安保理の常任理事国になりたいなんて、今でも身の程知らずなって感じなのです。ロールベルト大統領は大戦中に亡くなってしまうのですが、彼の遺志を受け継いだのが妻のエレノア・ルーズベルトです。彼女の監修のもと1958年にできたのが「世界人権宣言」です。これが現在の人権のスタンダードです。

ただし、この世界人権宣言には法的拘束力がない。より拘束力のあるものを作ろうということで1966年には内容はほぼ同じで法的拘束力のある「国際人権規約」が誕生します。ただし、この場合にはその条約に入らない国や一部の内容を留保する国も現れてしまいます。ちなみに日本もそのような国の一つです。国際人権規約はややこしいのでしっかりと確認しましょう。まず、国際人権規約というものは5つあると考えましょう。

①国際人権規約のA規約

②国際人権規約のB規約

③国際人権規約のA規約の選択議定書

④国際人権規約のB規約の選択議定書

⑤国際人権規約の第二選択議定書

以上の5つです。簡単に解説していきます。

まず、①②と③~⑤の違いは選択議定書と書いているかどうかです。

日本は①②には批准していますが、③~⑤には批准していません。

と言うのも、③と④の選択議定書と書いているものについては、この条約を結んでいる国の国民が規約違反の扱いを受けた場合、国連の規約人権委員会というところに直接通報することができます。

日本の場合には人権侵害があった場合には、まずは裁判所が原則です。よって、直接通報制度のある選択議定書を認めるわけにはいかない。また、⑤の第二選択議定書は別名死刑廃止条約です。日本は死刑制度があり、廃止する気も現状ではないので、これも批准することは難しい。

次に①と②ですが、A規約の方は、社会権ついて書かれたもので、B規約は自由権について書かれたものです。これらについては日本は批准はしているのですが、一部の内容について留保しています。

留保しているものを二つ知っておいてください。一つは公務員のストライキ権。これは認めていません。

もう一つが祝祭日の有給です。これもあらゆる仕事で認めることは難しく、一部を留保するという形をとっています。

5.条約について

最後にそれぞれの条約についてやっておきます。

まず、条約の際に出てくる言葉として署名、締結・批准・加入、発効について確認しておきます。

署名とはサインすることです。日本の場合には内閣が条約に署名します。これで契約成立となりそうですが、そうではなく、本当にそれでいいのか、多くの国では議会の承認が必要になります。これが終わった段階で、条約に締結・批准・加入したことになります。それぞれの意味の違いはそんなに気にしなくていいです。ちなみに日本の場合には国会が条約について事前もしくは事後に承認して初めて内閣は条約を締結・批准・加入したことになります。日本はこれまで国会が条約を承認しなかったことはありません。一方、アメリカではかつてウィルソン大統領が国際連盟設立を構想したにも関わらず、連邦議会が反対したため加盟できなかったということがあります。黒歴史ですね。

最後に発効です。発効とは、文字のごとく効力を発することを意味します。たとえば、「この条約は44か国以上が批准して初めて効力を発します」というような感じです。例えば、あらゆる核実験を禁止する包括的核実験禁止条約というものがあるのですが、これの最低批准国数が44か国です。日本は批准していますが、アメリカなどの賛成が得られず未発効です。ここまでが条約に関する用語の話でした。

では、簡単にそれぞれの条約を見ていきましょう。

(難民条約)・・・

(女子差別撤廃条約)