第3回 青年期②
(1)青年期の諸課題
前回お話したように、青年期とは、子どもでも大人でもない、社会の入り口に立つ時期のことを指します。現在では、青年期の期間がどんどん長くなっていると言われています。一番の理由は社会の複雑化。もっと具体的にいうと若い人が社会に出るのがどんどん遅くなった。信じられないかもしれませんが、1950年代まで日本の高校の進学率は50%以下、大学進学率は10%位だった。現在では高校進学率は98.9%、大学進学率は50%を超え、短大や専門学校も含めれば83.5%が高等教育を受けることになっています。前回話したように、青年期は不安定な時期であるため、この期間が長くなるほどに、様々な問題が顕在化してくることになります。前回のルソーの『エミール』の話しを皆さん覚えていますか。ルソーはエミール君に他者の判断基準ではなく、自分の判断基準で生きることを願った。そうでないと際限なく頑張り続けないといけない。しんどい。このような問題に直面し苦しんでいる人は多くいます
特に問題として表れているものを2つ取り上げます。まずは、スチューデントアパシーです。これまで一生懸命勉強してきて、ある程度目標達成もできたけれども、そこで燃え尽きてしまう学生さんの心理状況を指します。これは仕事でも同じようなことがあって、バーンアウトといって、仕事を頑張りすぎて燃え尽きてしまうこともある。なぜ、このようなことが起こるのか。やはり一つの理由として、学校のランキングや仕事の営業成績など他者基準でしか自分を評価できないためです。そうなると、際限なく頑張らないといけないし、自分がどうしたいのか結局分からなくなる。アイデンティティティの拡散ですね。
次に、モラトリアム人間です。モラトリアムとは、借金の支払い猶予期間のこと。転じて、社会に出るまでの猶予期間や青年期をモラトリアムと言ったりする。モラトリアム人間とは、いつまでたってもモラトリアムから抜け出すことのできない人のこと。「俺はまだ本気出していないだけ」というマンガや映画を観たことはありますか。本当は、自分はできるんだという自分本位の思い込みが激しく、他者や社会との関わりを避ける人のことです。このような状況を、ピーターパン・シンドローム、永遠の少年と言ったりもします。また、いつまでも経済的、精神的に自立できないで親の力を借りて生きていく人のことをパラサイトシングルといったりもします。
このような人たちに対して「甘えている」などの批判もあるかもしれませんが、他者と関わりにくい社会、または他者を簡単に受け入れない社会で生きていれば、誰にだってこのような状況に陥る可能性があるのではないかと思います。数年前に本校の生徒の課題研究で、引きこもりを調べている班がありました。その子たちの疑問が「なぜ、子どもの引きこもりや不登校は行政が調査するのに、大人のひきこもりを調べないのか。行政がきちんと実態を調べるべきではないのか」というものでした。彼らは、実際に、そのような大人の引きこもりを支援している団体を訪問し、研究発表では「なんでも自己責任で片づけるのではなく、社会的連帯が必要なのではないか」という問題提起をしていました。
(2)欲求と自己形成
青年期は人格を形成していく時期とされています。この人格形成に大きな影響を与えるとされているのが、欲求の問題です。マシュマロテストというのがありまして、小さい子に留守番をさせて、マシュマロを置いておく。「そのマシュマロはあげるけど、お母さんが帰ってくるまで食べずに待っていたら、もう一個あげる。もしも、お母さんが帰ってくるまでに食べちゃった場合には、もう一個はあげない。」と約束する。待つことができた子ども、つまり欲求をコントロールできた子どもほど、将来の大学入試の得点が高いことが実験で実証されています。欲求をコントロールできるかどうかは、その人の学歴や経済的地位などにも反映されるのですね。
そもそも欲求にも色々なものがあると思います。寝たい、食べたい、尊敬されたいなど。マズローと言う人は、これらの欲求について階層的に考えました。つまり、ある欲求が満たされると、次に異なる欲求が出てくると考えた。欲求階層説といいます。
せっかくなので模擬体験をしてもらいましょう。次のうち優先順位をつけるとしたらどの欲求が最初にきそうでしょうか。
模擬体験 無人島にクラス全員で暮らすことになりました。次のうち、どの欲求の順番を付けるとしたらどのような順番になりますか。
A「理想の生き方の実現」
B「みんなの尊敬」
C「雨がしのげる場所」
D「飲み水と食べ物」
E「協力できるグループ」
おそらく、Dが最優先でAが最後ではないでしょうか。まずは、D生理的欲求からスタートして、C安全の欲求、E所属の欲求、B自尊の欲求、そしてA自己実現へと欲求が高まっていくと考えます。マズローはこのように考えました。自己実現の欲求とは、自分の能力や可能性を生かして社会の中であるべき自分になろうとする欲求のことです。経済的な豊かさはおいておき、ボランティア活動に積極的に関わる、発展途上国の支援をする、とにかく上手な授業ができるよう努力するなどなどが具体的な自己実現の例かと思います。
(3)欲求不満
皆さんも分かっているように欲求が完全に満たされることはありません。たとえば、ラーメンを食べたいけれどダイエットしたい、高級レストランに行きたいけど貯金したいなどなど。レヴィンと言う人は、二つ以上の欲求によって起こる葛藤に着目し3つの類型を作りました。
①接近―接近型 例 ダイエットしたいけれどもお菓子が食べたい。
②接近―回避型 例 有名な大学に入りたいけれども勉強はしたくない。
③回避―回避型 例 働きたくないけども進学もしたくない。
これらのことは皆さんも日常的に起こりますよね。欲求が絶対に全て満たされることはない。その上で、人は欲求不満な状況を自分なりに解決しようとします。
たとえば、「働きなくないけれど進学もしたくない」という欲求不満の状態の場合、「働くのは嫌だけど、自宅で趣味の動画配信を行うといったネットビジネスを始めて、儲けが出たら遊び続ける人生にしよう」といった自分なりの解決方法を思いつく。これが「合理的解決」というやつです。その時の状況に合わせて柔軟に解決策を考えるパターンです。これをきちんとできれば一番いい。でも、そんなに人間の悩みは単純ではない。例えば、家族との別れや失恋など耐え難いほどの悲しい出来事は、かなりの欲求不満を生み出します。このような欲求不満に対して「いつまでも悩んでいてもしょうがない。これからもっと素敵な人と出会おう」なんていう合理的解決へ向かう人は普通いない。
心理者フロイトは、このような欲求不満を無意識との関係で考えた人です。彼は、人間の心を3つに分類しました。意識と前意識と無意識です。意識と無意識は分かると思いますが、前意識とは意識しようと思えば意識できる領域と考えましょう。フロイトが特に重視したのが抑圧されて意識することができない無意識の領域。この無意識の領域にはエスという欲望の心がある。この欲望は無意識に抑圧されているので、なかなか自分では認識することができない。でも、夢を見ているときにたまに無意識は出てくる。なので、フロイトは、心を患っている患者さんの夢を分析して、その人がどこにつまずいているかを診察したと言われています。他方、私たちには、エス(欲望)を社会の中で調整しようする心もある。これを自我という。そして、そのような心の調整を行う自我自体を監視する心もある。これを超自我という。超自我とは、道徳心や罪悪感を超自我と考えればよいでしょう。
フロイトは、防衛機制という概念を考えました。防衛機制とは、自分の心が傷つくことから守るための機能のことを指します。たとえば、「好きな人と別れなければならない」という状況。この場合に「次にもっと良い人を探すために新たな出会いの場を探して行動する」というのが合理的解決。一方で、悲しみを無意識に押さえて、「結構わがままそうだから結局こちらが嫌になっただろう」と思うようになる。これは防衛機制のうち「合理化」というものです。他にも、「退行」といって、子どもが被災体験によってストレスを受けるなどして、赤ちゃん返りしてしまったり、「逃避」といって、勉強のストレスから無意識に逃げて他のことをしてしまうようなものも防衛機制にあたります。
もちろん、欲求だけが人間の人格を形成するわけではありません。たとえば、心理学者のアドラーという人は、劣等感を持つことが人間の成長にとって重要な要素と考えました。感覚で分かると思いますが、どんな人でも何らかの劣等感を持ちながら生きている。アドラーは、劣等感は人間の心を荒んだ方に向かわせる可能性はあるが、それだけでなく劣等感をもつからこそ人はそれを改善し、成長するようになると考えました。
(4)おわりに
今回は人間の心理に関わる部分について取り上げていきました。人間は社会の中で生活を送る上でたくさんの欲求不満を抱えることになる。欲求不満をどのように解決するかによって、その人の人格が形成されていく。それならば、これまで「人間が社会を作る」と言いましたが、「社会が人間をつくる」とも言うことができます。今回の学習を通して、社会と人間の関係は一方通行的なものではなく、相互作用的なものであるという視点をもってもらえたらと思います。