井庭崇(2019)『リアリティ・プラス クリエイティブ・ラーニングー創造社会の学びと教育-』という本を読んだ。著者は慶応の先生でパターン・ランゲージを研究している人らしい。本の序章が長くて200ページを超える。内容は、教育学の理論としての構成主義や経験主義について中心的に書かれている。教育研究にも使えそうな部分が多いのでまとめておく。
教育学では大きく二つの学習観がある。一つは「知識は外部から獲得するものである」という考え方。外の世界に知識があり、教師はその知識を学習者に獲得させていくのが学校であり授業であるというものである。もう一つは、「知識は学習者自らが構成するものである」という考え方です。後者の考え方を構成主義という。構成主義の学習観の系譜としては、ピアジェ(1896~1980)の構成主義、ヴィゴツキーの社会的な構成主義、デューイのプラグマティズム、コルブの経験学習などが挙げられる。
まずは、ピアジェについて、彼は人間に限らず生物は環境に適用するように生きようとする。それは、生理的機能だけでなく、認識についても同様と考えた。人間は認識の枠組みとして「構造」をもっており、環境に適用するように「構造」を変化させることによって生きていると考えた。つまり、認識・知識は、主体者と環境との相互作用のなかで構成されると考えた。分かりやすく言うと、赤ちゃんが世界を理解できるのは、外からの刺激を受けた際に、自らの認識の構造を自分で再構成するというようなことである。つまり、学習者自らが自分の構造を変化させることこそが学習とピアジェは考えた。
このピアジェの考え方にもとづけば、知識伝達学習は否定されることになる。なぜなら、一方的に伝達をしたとしても、生徒は外部から取り入れたものをそのまま受け入れることはできないと、ピアジェは考えるから。むしろ、そのような知識を外からあてがうように教える授業は、生徒が自分で知識を構成する機会を奪うともピアジェは考える。
たまに、知識伝達型授業でも生徒が喜んで聞いており、内容を理解している場合もあるが、それは先生が生徒の認識構造をある程度把握し、生徒自身が自らの構造を再構成できるように、授業で扱う内容や方法を工夫している例外的なものだとピアジェならば考えるのではないかと考えられる。
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