日本人としての在り方

(1)日本人の共通点

 これまでは個人と社会に着目して学習をしてきましたが、今回はより範囲を広げて「日本」という社会について取り上げたいと思います。もちろん、この中には日本国籍を有する人やそうでない人はいると思いますが、とりあえず、日本人に共通するものや日本人が共通して行っていることとは何だと思いますか?

生徒の回答

同調圧力、上限関係を重んじる、礼儀正しい、勤勉、仕事熱心、働きすぎ、時間を守る、宗教へのこだわりが薄い、多様性を求めない、正月に集まる、他の宗教の行事も取り入れる、

 一番多いのが同調圧力ですね。やはりコロナ禍での自粛警察なんかを思い浮かべるのかもしれません。たしかに、外国では強制的に都市封鎖(ロックダウン)するなかで、日本では「自粛要請」という形での対応が多かった。そして、単なる要請ではあるものの、国民同士の「自粛するべき」という同調圧力が感染拡大の歯止めの一つになったようです。この同調圧力は良い面にも悪い面にも働くことが良く分かりましたね。ちなみに、行動経済学という心理学を活用した経済学では、多くの日本人は「あなたがコロナに感染するのでマスクをしてください。」と言うよりも、「周りに迷惑になるのでマスクをしてください」と言った方がマスクを着用する人が増えることを明らかにしています。日本人は周りにどう思われているかを行動の基準として重視するのですね。この点をルース・ベネディクトは著書『菊と刀』で、日本は「恥の文化」、欧米は「罪の文化」というように表現しています。かつて5000円札の顔にもなった新渡戸稲造も、日本人の精神の源には「武士道」があり、誇りを重んじる精神性があることを英語で説明しました。

 また、古代からの日本人の共通点に一つとしてアニミズムという考え方があります。アニミズムとは、あらゆるものに神が宿っているという考え方です。八百万の神への信仰です。一番分かりやすいのが、「千と千尋の神隠し」ですね。あの映画に出てくる怪獣みたいなキャラクターは全て神様なんです。風神雷神とは、風の神様と雷の神様ですね。このようにあらゆる自然には神が宿ると考えました。このような日本の伝統的な宗教を神道と言います。皆さんは岸和田のだんじり祭りに行ったことはありますか?あのお祭りは各地域の人たちが神社の神様に今年の五穀豊穣を祈っているのです。日本人は日常的な日々を「ケの日」とし、祭りなどの特別な日を「ハレの日」として区別しました。ハレの日に着るから「晴れ着」ですね。神道と関係して、日本の伝統的な神話を書物としたものが「古事記」です。本居宣長という人は、「古事記」を研究し、日本人の心は古来より「正直」であるとしました。そのような心を「真心」と言ったりする。

 日本人に限らず世界中の各地域の人たちは、住んでいる地域の天候や地形の影響を受けているとも考えられてきました。たとえば、日本の総面積の70%が山岳地帯です。山から流れてくる水は飲み水や洗濯に利用できます。よって日本人は、水はきれいなものと考え、「水に流す」という言葉のように水によって自らの罪や穢れを落とすことができると考えました。この発想は、つまり、人間はそもそも清らかな心を持っているということですね。このような心を「清明心」と言います。また、気候に着目すると日本には四季があり、古来より日本人は、四季の変化や台風や洪水を経験してきました。和辻哲郎は著書『風土』 の中で、日本のような東アジアは「モンスーン型」に分類し、人々は四季や災害へ順応する中で、忍耐強さを持つようになったとしています。

(2)宗教と日本

 日本人は「宗教へのこだわりが薄い」と言ってくれた人もいました。確かにお正月に神社に行くのは神道の影響、お盆に親戚で集まるのは仏教の影響、クリスマスにパーティーをするのはキリスト教の影響ですね。ただし、日本人が無宗教であるかと言ったらそうではない。ここでは、宗教と日本の関係を見ていきます。

①儒教と日本

 先ほど授業の冒頭で、日本人の共通点として、「上下関係を重んじる」、「礼儀を大事にする」と言ってくれた人もいましたね。これは、おそらく学校生活でも感じることが多いのではないでしょうか。「制服をちゃんと着なさい」と言われたり、学期ごとに始業式や終業式がある。これは儒教の影響と言えるでしょう。儒教をひらいた人は皆さんもご存じの通り、孔子です。孔子は仁と礼を重視した。仁とは、家族愛を中心として世の中全般に広げていく愛のこと。まずは、自分や家族、ご先祖様そして社会全体へと仁の心を広げていくべきとした。一方で、礼とは仁の心が表に出たもの。大事な話をするとき、たとえば結婚を申し込むシーンでもいいでしょう。ここで、だらしない恰好をしていたら相手のことを思いやりに欠ける人と思いませんか。だからこそ大事な時こそ、礼を重んじる。

特に学校教育でこのような文化が定着した背景には、江戸幕府が朱子学を官学とした点が挙げられます。朱子学は儒教を学問化したもので「上下天分の理」といって主君と家来の関係、父と子の関係など、上下関係を重んじた。そのため幕府としては世の中を支配するために採用しやすい学問だったのでしょう。ただし、このような朱子学は、形式的なことばかり重んじる点を批判的にとらえて、孔子の原典である「論語」や「大学」に戻ってその内容を重視するべきだと考えた人がいる。

一人は伊藤仁斎です。京都の堀川に商人の子として生まれた人です。彼は古義学を提唱しました。古義とは、孔子や孟子の書いた書物の「そもそもの意味」ということ。彼は、儒教の原典をしっかりと調べ、孔子や孟子の言いたかったこと、つまり人々が仁(愛)を実践するべきだと説いた。古義学は、庶民がどのように生きるべきかを示し実践的な倫理として広まりました。

もう一人が荻生徂徠です。彼は幕府の要職も勤め幕府の政策立案にも関わった人です。彼も孔子の原典に戻るべきとし、朱子学を批判した点では、伊藤仁斎と同じ立場です。ただし、荻生徂徠は、伊藤仁斎以上に徹底して原典に戻るべきだとした。古典を読むためには、古代中国語を古代中国語のままの文字列と語義で読み解く必要がある。そのため、彼の学問は「古文辞学」と称しました。彼は、古代中国の考え方を、自分たちの生きた時代の政策にいかすべきだと考えました。特に重視した考えが「経世済民」です。つまり世を「おさめ(経)」、民を「すくう(済)」ことが、政治にとって重要な目標だと考えました。

②仏教と日本

 中国から仏教を持ち込み広めた人で一番有名な人は皆さんもご存じとの通り、厩戸皇子もしくは聖徳太子ですね。仏教を中心として国家づくりをしようとした人です。彼は十七条憲法を作って役人に政治を行う上での教えを説く。有名なのは「篤く三法を敬え」ですね。三法とは、仏、仏の教え、仏を教える僧のことです。もっと有名なのは、「和を以て貴しとなす」。独裁者による決定ではなく話し合うことの重要性は、古代から指摘されていたのです。このように中国から仏教が入っていると問題となるのが、これまでの八百万の神といった古来よりの神様と仏教の関係でした。ここで日本人は、神仏習合という考え方を生み出しました。神仏習合とは、古来よりの神様は、仏が姿を変えたものであるという考え方です。

その後、仏教と権力はさらに強い結びつきをもつようになってきます。奈良時代になると疫病や騒乱が激しくなってくる。聖武天皇は仏教をよりどころとして国家を立て直そうと試みる。各地に国分寺や国分尼寺を建てたり、奈良の大仏を建てたりする。仏教がより庶民に伝わるようになっていったのが武士の時代になってからです。貴族階級でない限り難しい仏教の教えは誰も分からない。そこで易行という考え方が庶民の間で浸透しだします。易行とは「とりあえず、一つの仏教の教えをやれば良い」という考え方のこと。ひたすら座禅をする、題目を唱える、お経を唱えるといった具合に庶民が行いやすい仏教が生まれるようになっていったのです。特に武士たちが好んだのが座禅です。そのため、鎌倉幕府や室町幕府では禅宗が特に重んじられました。

権力と仏教の関係が一番よく分かるのが江戸幕府の頃です。皆さんの中にも法事やお葬式は近所の決まったお寺にいつも頼みに行く人がいるのではないでしょうか。この仕組みがスタートしたのが江戸時代です。幕府は、各寺院と檀家を固定させました。檀家とは、お布施などによってお寺を経済的に支援する一方で、法事やお葬式を行ってもらう信者の家のことを指します。宗旨人別帳といって誰がどのお寺に属しているのかをはっきりさせることで戸籍の代わりの仕組みともしました。江戸幕府は仏教を人々を支配するための術として利用してきたと言えるでしょう。

③日本の政教分離

 明治になると王政復古と言って、江戸幕府よりも天皇家に注目が集まり、仏教よりも神道が重んじられるようになっていきます。明治政府は、神道を国家の中心に置くこととし、全神社を明治政府の支配下に置きました。皇室の祖先を天照大御神とし、その神様をまつる伊勢神宮を全神社のトップとしました。大日本帝国憲法には「信教の自由」が明記されていますが、これは国家神道の枠内でキリスト教や仏教を信じていいということでしかなかった。庶民には天皇崇拝と神社信仰が義務づけられていました。そして、1945年の敗戦後にGHQが国家神道の廃止と政教分離を定めるまではこの体制が続きました。日本の政教分離原則とは、このような国民の内面的な自由への侵害と国家神道が戦争への向かったことへの反省からなされたものであります。

しかし、宗教と国家権力を分けるのは結構難しいのです。たとえば、税金を重要文化財の保護のために使うことには、それなりに正当性がある。しかし、その重要文化財が仏像や寺院だったらどうでしょうか?やはり保護するべきだとなりますよね。また、本当に完全に宗教と公的な組織の関係が一切否定されるならば、学校で「いただきます」といってご飯を食べたり、修学旅行に京都の清水寺に行ったりすることができない。公権力と宗教の関係は案外難しいということは知っておいてください。

(4)西洋哲学と日本

宗教と並んで現在の私たちの社会に影響を与えているのが西洋哲学です。明治になると日本は西洋諸国に追いつけ追いこせと、殖産興業化や富国強兵政策を進めていきます。和魂洋才といって、日本固有の精神は大事にしつつも、西洋の知識や技術は積極的に取り入れようとしました。このような西洋化に積極的だったのが福沢諭吉。一万円札の肖像の人ですね。この人は西洋の知識の中でも医学、工学、経済学など実用的で役立つ学問を「実学」といって積極的に学ぶべきだとしました。そのような科学的な知識をよく知っていて使いこなせる人は、物事を自分で判断して行動することができる。同じように、そのような人で集まる国家は他国から尊敬されるし、独立した国家として認められる。彼の残した言葉「一身独立して一国独立する」とは、そういう意味です。

一方で、このような西洋化を複雑な思いでみていた人もいました。その一人が夏目漱石です。昔の千円札の肖像で、『ぼっちゃん』『こころ』『草枕』などの小説で有名な人です。この人は、『私の個人主義』といって、自らの思想をまとめた本も出しています。内容は学習院大学の学生に対して個人主義について解説している講義録です。個人主義とは集団にとらわれず個人の考えや判断が重んじられるべきという考え方です。明治までの日本の常識は、家のために職業を選び、家のために結婚相手を決めるべきといったもの個人主義とは真逆のものでした。

夏目漱石は、日本人は西洋の個人主義を取り入れようとするが、なかなかその本質を理解できていないと考えた。なぜなら、人間は元来から自由や平等の権利をもつといった考え方が西洋のように浸透しておらず、王権を倒したといった歴史もない。そのため、西洋流の個人主義を自分のことだけ考えていたら良いという「利己主義」と混同してしまう。夏目漱石は、個人主義とは自分の自由を尊重するために他人の自由も尊重することだと学生に教えています。西洋流の文明開化は内発的開花である一方で、日本の文明開化は西洋のモノマネで外発的開花とも批判しています。

もう一人が、中江兆民です。西洋のルソーと言われた人です。ルソーの『社会契約説』を日本に紹介した人です。彼も夏目漱石と同じように日本の西洋化を複雑な思いでみていました。日本人には西洋のような「人は生まれながらに権利をもつ」という考え方がなかなか理解できない。権利といっても大日本帝国憲法に書かれているような「臣民の権利」つまり権力側から与えられたものだと思ってしまう。中江兆民は、「一人ひとりが自由平等なんだ」という西洋流の考え方のもとで国家を作っていくべきだとしました。帝国議会の議員に立候補して当選も果たし、そのような理想を遂行しようともします。しかし、当時の議員たちの実態に嫌気が指し、すぐに議員辞職しています。

(6)おわりに

今回は日本社会に影響を与えてきた宗教や哲学について紹介してきました。以下、三つを押さえておいてください。一つは、日本は外来宗教や哲学をアレンジしてきたということ。神仏習合やクリスマスパーティーがそうですね。二つ目が、日本の文化は多層的であるということ。古来よりのアニミズムから仏教や儒教など様々な考え方の影響を受けています。最後に、日本は無宗教の国ではないとうこと。政治権力と宗教が強く結びつく歴史をもっており、それは、現代の私たちの社会にも影響を与えています。